栃木・小山市
二児殺害事件を考える
小山市の幼い兄弟の一斗ちゃんと、隼人ちゃん、両親が離婚してからは一度も「お母さんは…」と言った事がないそうです。我慢していたのでしょうね。
殺害された十日程前にお母さんの写真を見せたら、肌身はなさず身につけていました…とお父さんがインタビューで答えていました。
「肌身はなさず身に付けていた」と聞いた時は涙が止まりませんでした。
虐待され、橋の上から生きたまま投げられて殺害された幼い兄弟の顔は、はれ上がるくらいたたかれ、そして殴られても助けてくれる人もなく、ハイハイと怯えながら耐えていた…といいます。
逃げる事も、反抗する事もできない無抵抗の幼児。子どもは、わがままと思い込んでいる人も少なくありませんが、大人よりとてつもない我慢強さがあります。子どもは、心が真っ白です。親の生活のクセと心のクセをコピーして一人の人間になるのです。
この事件から、何を学習するかです。小さな子どもの我慢強さ、忍耐強さでしょう。「お母さんは…」と親が困ることは言わない…人間の心の奥には、平等に「愛、思いやり」があります。親の生活習慣が心の中にあるプラスやマイナスを引き出すのです。親が基本です。子どもを生んだ以上は、子どもを守り切ることでしょう。自分から逃げて、親の都合のいいように、楽ばかりを追い求め思い通りにならないと離婚では、犠牲者ばかり増えるでしょう。
ナポレオンの名言に、
とあります。
わがままで結婚して、わがままで離婚する。親の生活が川の流れのように、人生の流れを作るのです。
三度の食事をして幸せを求めるならば、子どもの責任を取る事が自分の人生にも大切な事でしょう。
運が悪いのではなく、生活のクセに気付いてないだけでしょう。
親しか出来ない事があります。地域しか出来ない事があります。そして、児童相談所しか出来ない事があります。
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