家庭崩壊、教育の崩壊、
相手は誰でもよかったという恐怖の殺人事件
なぜ、どうして!
秋葉原で通り魔無差別殺人犯人加藤、埼玉県中三少女が父親を殺害、みんな親に育てられたのです。
運が悪かったのでも、相性が悪かったのでもなく、親が幼児期にどのように関わってきたかが、思春期に人生のブーメランとして答えが出てきます。
親がヒステリックで子どもがまだ自由自在の時に、思い通り振り回してきたのか、親は子どもがうんざりと仕事に逃げたのか、あるいは親が子どもに心配性で、過干症で子どもの心を無視してきたのか、解決の糸口は、一人一人の心の中にあるのです。
一時、子どもには無限の可能性があり、自由にのばしてやり、個性をのばす為にと、報道されていました。
自由にのびのび、しつけもしない、並んではいけない、その代表が自由保育、ほったらかし、放任でした。
その結果は答えとなって出て来ました。
小学校一年生から学級崩壊、「座りなさいと言っても座らない、並びなさいと言っても並ばない、どうにもならない」
講演に行きますとよく耳にしました。
平成12年度に自由保育は中止になりました。
先生方はほっとされたと思います。
自由自由と言って、日本人が世界に誇れる人間としての基本生活までも崩壊しつつあります。自由は、何をしてもかまわないという事ではありません。自由だから、好き放題寝ていてよいという事でもありません。自由をはき違えている人が、いかに多いかです。
自由とは自分で考え、人に指図されるのでなく、自分で判断をして行動するのが、自由ではないでしょうか。
日本の将来がとても心配です。
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